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広島高等裁判所 昭和29年(ネ)173号 判決

控訴人 坂井訓二 外一名

被控訴人 福本重夫

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴人坂井代理人及び控訴人井上直次郎は夫々主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人等の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は左記の点を除き何れも原判決事実摘示と同一なのでここにこれを引用する。

一、控訴人坂井訓二代理人の主張

(一)  仮りに被控訴人が訴外住井一夫から本件手形を善意で譲り受けたとしても訴外大沢春夫から期限後裏書により取得した際は本件手形の符箋に「此手形本日呈示之有候処支払人本行ニ出頭無之且ツ詐取ニ付支払ニ難応候也昭和二七年一一月二〇日株式会社協和銀行堀江支店」とあり且つ既に控訴人坂井訓二の息子坂井保升及び控訴人井上直次郎から本件手形の返還を求められていたのであるから被控訴人は悪意又は重大な過失によつてこれを取得したもので被控訴人には該手形金の支払を求める権利はない。

(二)  又被控訴人は期限後裏書により本件手形を取得する当時既に訴外住井一夫が横領罪を構成する不法行為により該手形を被控訴人に譲渡したもので控訴人等より返還を求められている事実を知つていたものであるから、これを本件手形の善意取得者大沢春夫から承継取得したとしても、それは控訴人坂井等に手形金の請求をなす目的であり、しかも住井一夫の行為が犯罪行為になるかも知れないと思いながらこれを取得したことになるので該法律行為は公序良俗に反し無効である。

(三)  被控訴人は訴外住井一夫に対する貸金十万円の担保として本件手形を預りながらこれを訴外大沢春夫に裏書をなし同訴外人から期限後裏書によつて手形を取得したのであるが、既に訴外住井一夫は右借入金の一部金五万五千円につき代物弁済をなして居り、残金四万五千円を受領の上は被控訴人において該手形を返還すべきものである。而して訴外住井一夫は控訴人坂井訓二からの控訴人井上直次郎に本件手形を返還することを依頼せられ保管中に手形権利者でないに拘らず被控訴人に手形を引渡したのであつて当然手形を控訴人坂井訓二に返還すべき義務がある。従て控訴人坂井訓二は前記被控訴人の貸金残額四万五千円を弁済することによつて訴外住井一夫が被控訴人に対し手形の返還を求める権利を代位して行使することもできる筋合であるから同訴外人が被控訴人に対して負担する借入金残額四万五千円を超過する金額である本件手形金三十万円につき控訴人坂井訓二に請求するのは失当である。

(四)  仮りに手形権利者大沢春夫から被控訴人が完全な権利を取得したとしても右のように金四万五千円の支払を受ければ本件手形を返還すべき義務があるのにその弁済の受領を拒みながら本件手形金三十万円を請求することはその権利行使が信義則に反し権利の濫用であつて本件請求は不当である。

二、被控訴代理人の主張

(一)  本件手形の振出人である控訴人井上直次郎が手形の満期日に支払をしないので期限後被控訴人は自己の直接後者である大沢春夫から償還請求を受けたので、同人に本件手形を譲渡した責任上これを支払つて期限後の裏書により取得してこれを所持しているので被控訴人の前者である控訴人両名に対し実質的に手形金及び手形金支払による償還請求をしている筋合である。従て仮りに期限後取得に際し控訴人等主張のような知情の事実があつたとしても善意取得時に生じた義務を果すために手形を取得したのであるから右事実は本件手形金請求に何等の影響を与へない。

(二)  控訴人坂井訓二は本件手形は訴外住井一夫が借りた金十万円の担保に入れたものであると主張するが、被控訴人はこれを割引により取得したもので、しかも本件手形上同訴外人は被控訴人の裏書人でなく控訴人坂井訓二が自ら白地裏書によつて本件手形を流通状態に置いたものである。従て仮りに被訴人主張の事実ありとしても訴外住井一夫は控訴人坂井訓二の後者であり、被控訴人は更にその後者であるから控訴人坂井訓二が訴外住井一夫の被控訴人に対する抗弁権を行使することは不当である。

(三)  その他の控訴人の抗弁事実は全部否認する。

〈立証省略〉

理由

甲第一号証の裏面中控訴人坂井の裏書部分は同控訴人においてさきに成立を認めながらその後右は真実に反し錯誤に基く自白であるからこれを取消す旨主張するが、原審並びに当審証人坂井保升、住井一夫の各証言に弁論の全趣旨を綜合すれば坂井訓二の裏書部分は坂井訓二より取引につき一切の代理を委任されていた同人の息子坂井保升がその代理権に基き坂井訓二名義で署名捺印して裏書きしたもので所謂署名代理をした事実が認められ右認定に反する部分の前記各供述、並びに原審控訴人坂井訓二本人尋問(一、二回)の結果は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。然らば右裏書部分は坂井保升において坂井訓二の所謂署名代理をしたものであるから坂井訓二の署名捺印として有効に成立したもので、結局前記自白は真実に反するものでなく且つ錯誤にでたものでないことが明白であつて前記自白の取消は許されない。従て甲第一号証裏面の控訴人坂井裏書部分は同控訴人との間では成立に争なく、裏面の爾余の部分、表面及び符箋の部分は原審証人大沢春夫、原審並びに当審証人坂井保升、住井一夫の各証言、原審控訴人両名各本人尋問の結果により成立が認められ(控訴人坂井の裏書部分については控訴人井上との間では右各証拠によりその成立が認められる)、右甲第一号証と前記各証拠を綜合すれば控訴人井上は被控訴人主張の日その主張のような約束手形一通を控訴人坂井を受取人として振出したこと(以上の事実は控訴人井上との間では争がない)控訴人坂井は昭和二十九年九月十八日右手形を訴外住井一夫に支払拒絶証作成義務を免除して白地裏書により譲渡し、被控訴人は同年十月二十一日同訴外人から右手形を該白地裏書のまま譲渡を受け所持人となつたこと、被控訴人は同月二十七日頃更に右手形を該白地裏書のまま訴外大沢春夫に譲渡したこと、右大沢春夫は被裏書人を自己と記載し白地を補充し、右手形を訴外株式会社大阪銀行へ取立委任裏書をしたこと、同銀行は支払期日に右手形を支払場所に呈示したこと、及び被控訴人は同年十一月二十四日右大沢春夫の期限後の裏書により右手形の所持人となつたことが認められ、右手形の支払が拒絶せられたことは当事者間に争がない。

控訴人井上は右手形は同控訴人が、控訴人坂井から訴外坂井保升を通じて価格五十万円の材木を送付しないのにこれを送付する旨詐罔され作成交付したものである旨、控訴人両名は右手形は控訴人坂井が訴外住井一夫に対し控訴人井上に返還方を依頼して交付したのに同訴外人がこれを被控訴人に交付したものであり、しかも被控訴人はこの事情を熟知してこれを取得した旨抗争しているので考へてみるに、成立に争のない乙第二、三号証、丙第一、三号証、原審証人大田米一、原審並びに当審証人坂井保升、住井一夫の各証言に原審控訴人井上本人尋問の結果を綜合すれば控訴人井上は訴外住井一夫より代金五十万円相当の材木を買受ける契約をしその代金支払のため本件手形と金額二十万円の手形を控訴人坂井宛(割引を受ける便宜上坂井保升立会の上特に控訴人坂井宛とした)振出し同訴外人を通じて控訴人坂井に交付したが、同訴外人は該材木を送付しなかつたので控訴人井上は控訴人坂井に対して手形金の支払をなし得ない旨を告げて本件手形の返還を求めたとろ既に訴外住井一夫に交付後であつたため更に他に譲渡されることを虞れて控訴人坂井と共に右住井にその旨を告げて返還方督促したがその間前示認定のように同訴外人は該手形を白地裏書のまま被控訴人に譲渡し同訴外人は被裏書人を自己と補充したものであること、而して被控訴人が訴外住井一夫から右手形を譲受ける当時、及び、被控訴人がこれを訴外大沢春夫に譲渡するに際しても、被控訴人も右大沢も前記事情を知らずに本件手形の授受がなされていることが認められ、右認定に反する部分の前記大田米一、井上直次郎、住井一夫の各供述は何れも措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。然らば控訴人等は本件手形金の支払を拒み得る前記事情を以て被控訴人及び訴外大沢春夫に対抗し得ないものと謂わねばならない。尤も前記甲第一号証に原審並びに当審証人坂井保升、住井一夫の各証言、原審控訴人井上本人、被控訴本人の各尋問の結果によれば被控訴人が訴外大沢春夫から本件手形を期限後の裏書により譲渡を受けた当時は右手形に符箋の記載があり且つ控訴人井上から支払を拒み得る事情ありとしてその返還方の請求を受けていた事実が認められるが、前示認定の如く被控訴人が訴外住井一夫から右手形を譲受ける際及び訴外大沢春夫が被控訴人からこれを譲受ける際前記事情を知らないで右手形を取得し、抗弁の附着していない手形上の権利を取得している以上手形の支払が拒絶されたため已むなく訴外大沢から期限後の裏書によりその権利の譲渡を受けた被控訴人の手形上の権利は、右期限後譲受当時の被控訴人の悪意の有無によつては左右され得ないものと解するのが相当でこの点に関する控訴人等の抗弁は採用できない。

次に控訴人坂井は被控訴人の前記期限後譲受行為が公序良俗に反して無効であると抗争するが前示認定のように期限後裏書を受けた際本件手形に符箋の記載もあり且つ返還請求も受けていたので同控訴人主張のように訴外住井一夫に横領行為があつたかも知れないと被控訴人において了知したとしても善意取得した手形を裏書譲渡した後該手形の支払が拒絶され償還義務を生じやむなく期限後裏書によりこれを取得したのであるから該行為を目して公序良俗に反するものとは到底認められないから右主張も理由がない。

次に原審証人住井亀太郎、原審並びに当審証人住井一夫の各証言に弁論の全趣旨を綜合すれば、被控訴人は訴外住井一夫の依頼により同訴外人に対し金十万円を貸与し、これが担保として本件手形の交付を受けたが、その際右貸金の弁済期は右手形の支払期日である昭和二十七年十一月二十日と定めた、ところが同訴外人はその後金五万五千円に相当する酒樽(従来取引している)を送付して、これを代物弁済となし、残金四万五千円は右弁済期日に控訴人坂井の息子坂井保升と共に現金を被控訴人方に持参してその受領と引換に本件手形の返還を受けようとしたが、同人は訴外住井一夫の父亀太郎に対し他に債権がありその支払を受けていないし、手形も他に流通さしているからとて右残金を受取らないで本件手形の返還を拒んだ事実が認められ右認定に反する部分の原審証人麓速水の証言、原審被控訴本人尋問の結果は措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。然らば被控訴人としては右貸金残額金四万五千円(利息については何等の主張立証がない)を期限に支払を受ければ本件手形を返還すべき義務があるのに前記認定のように本件手形により支払を担保された債権である残金四万五千円の弁済の提供を受けたのに対し、本件債務とは関係のない債務者住井一夫の父に対する債権が支払われていないことを理由に弁済の受領を拒み受領遅滞に陥りながら本件手形金三十万円の請求をなすことは著しく信義則に反するものでその権利行使は権利の濫用として許されないものと解するのが相当である。

然らば控訴人等に対する被控訴人の本訴請求は全部失当としてこれを棄却すべく、右と異り被控訴人の本訴請求を認容した原判決は取消を免れないから民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条を適用して主文のように判決した。

(裁判官 植山日二 佐伯欽治 松本冬樹)

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